氣は野口氏が言うところには、氣の合う人とは地球の反対側にいても氣は通じるものです。
氣が合わない人とは隣にいても氣が通じない。
そんなことを言っております。
確かにそうです。そうなんですが、そうなると整体での手技があってないものになってしまいます。
例えば整体操法で胸椎10番3側に輸氣をする場合はその場所を押さえます。
その場所を押さえなければいけないので当然ですがそこがズレルと全く効果はないとも言われています。
そうすると氣って無いものになります。
氣が通るならば、おでこでも手のひらであってもどこに触れても全身の必要な場所に氣が通らなければ氣自体がないものとされてしまいますよね。
整体では腕から胸椎4番や8番を変えることもしますが、結局は氣ではなくてそんなやり方に成り下がってしまいます。
僕は氣は前提として整体をしていますが決して氣で治そうだなんて思っていません。
氣で押さないと、棒で物を押すようなものだと言われていますが、それもある意味実体のないものです。
中国では気功は実際の医療としても導入されていますがそれは民族性のなせる業だと思っています。
氣はありながらも、ちゃんと感じられて、効くか効かないのかわからないことを勉強して、自分自身が変化を感じられないことをあたかも効くように自分に言い聞かせて整体をするのは整体師として未熟としかいえません。
今回は批判めいた事を書きましたが僕は色々と整体のあり方を一生勉強していくうえで、自分に合わない施術方法でやっていくつもりはありません。
その時その時の最高だと思われる施術をその都度していますので、今のやり方は一年後には全く過去のものになっている可能性もあります。
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